国際教育組織UWCの教育について

山本ゆうじ(UWCイギリス校卒業生) 1.0

はじめに

私が国際教育組織UWCと出会ってから17年が経ちました。その間、多くの卒業生・在校生と何度も夜を徹して話しました。世界各国のUWCにはそれぞれの特色と事情がありますが、一定の共通点もあります。UWCの現在の教育では、創設者の一人、カート・ハーンの教育理念が確実に実践されているように思えます。

ここで、UWCの教育について、一卒業生としてあらためて考えてみました。UWCと国際バカロレア課程の基本的な情報についてはUWC卒業生会ウェブサイトをご覧ください。ここではすでに一定の基礎知識があるものとして話を進めます。

UWCは恵まれた環境であり、他の学校でそのまま簡単に実現できるものではありません。しかし、その基本姿勢と方法論は、従来の学校でも充分に活かすことができるはずです。

良循環の炎

UWCの高校には、一種の「良循環」が働いています。UWCという環境に新入生が入ると、生徒と教員から多大な感化を受けます。「一定の火力のある焚き火に、新しい木の枝を入れると火が付く」ということが絶えず継続しています。具体的には、「自発的行動をうながす」といった姿勢が、生徒から生徒へ、教員から生徒へ受け継がれています。

むろんUWCとて完璧ではなく、それぞれの学校で問題を抱えているのも事実です。しかし、この「良循環」の理想の炎がここまで受け継がれているのは、実際にはなかなか見られるものではありません。「良循環」を成功させる要因の一つは、選考試験があること、さらにその選考試験で、学力だけでなく性格や人柄が重視されていることでしょう。UWCの生徒には高い学力を持つことが求められますが、学力だけが高いだけでは不十分です。意欲の高い生徒を集めることができれば、干渉を加えなくても互いに刺激を与えあう環境ができるわけです。

多様性を包み込む環境

UWCの生徒の背景は実に多様です。多様な生徒を受け入れるのは、単なる結果ではなく、UWCの目的の一つです。UWCでは、基本的な路線としては可能な限り、能力に応じた奨学金を出しています。そのため、お坊ちゃま・お嬢様学校を目指しているわけではありません。一方で恵まれた環境の生徒がいることは事実ですが、そうでない生徒と混在することで、非常に多彩な環境が作られ、相互に学びあっています。

「恵まれた」という程度もさまざまです。日本人は、世界全体の基準から見ると少なくとも物質的にはもっとも恵まれている部類でしょう。たとえば、親が大学教員や非常に裕福な家庭で、英語をはじめとして幼少時から徹底した教育を受けている場合もあります。一方では、私のように海外経験も皆無で、特殊な教育を受ける機会がなく、英語での授業にさんざん苦しんだ生徒もいます。さらに、UWCに集まる世界各国の基準では、経済的に非常に困難な状況の生徒から、非常に豊かな家の生徒もいます。

このような多様な環境で、前述の「良循環」が働いて、UWC的精神を共有し、相互理解に努めていることに意義があると思います。

自発的行動

自発的行動について考えてみます。UWCでは、「異文化理解」というモットーやお題目を振り回すだけでなく、実際のイベントとその参加によって、そのモットーをさまざまな形で実現し、実行していこうという機運があります。特にUWCでは、「だれかがしてくれる」のを待つのではなく、上級生、同学年、スタッフ(教員)が「自分で率先して、行動で見せる」という文化が根付いています。学校行事にしても、教員からああしろこうしろ、という直接的な指示が行われることはあまりありません。生徒が計画し、実行するのが当たり前です。また「こういうイベントがあるので、興味のある人は参加表明(サインアップ)してください」というのが基本です。強制されていない、自発的だからこそ動機付けが強いのです。

日本の学校ではどうでしょうか。学級委員でも学校行事でも「しかたなく」「いやいやながらする」というのが、むしろ当然とされています。「出る杭を打つ」「手を挙げた者の足を引っ張る」……それが正しいやり方でしょうか。他に方法はないのでしょうか。

また、UWCでは自発的行動を起こした生徒に、教員と学校が、自分の能力を最大限に発揮できる機会を与えるということも重要な、要素です。これはたとえば美術の授業で、多彩な素材を準備し、生徒が自分のスタイルを切り開くのを助ける、ということにも現れています。教員は、伸びつつある生徒をさらに伸ばす手助けをするのが役目です。

国際バカロレア課程では、すべてが選択科目であるため、「自分で選んだ道の責任を持つ」ということが求められています。これはUWCと国際バカロレアで共通の事項です。

偏見や先入観と闘う

世界中で、個人から国家のレベルまで、実にさまざまな理由で衝突が起きています。その理由の一つに、「偏見と先入観」があります。相手の主張や価値観を理解しようとせず、自分の立場だけを一方的に主張してしまうわけです。

国際バカロレアの必須科目である「知識の理論」では、多面的な「ものの見方」を学びます。時には、相手が自分と正反対の立場のこともあります。それでも、その意見に耳を傾ける冷静さを持てば、自分自身を見直すこともできます。自分の価値観にはどんなに受け入れがたいことであっても、ある文化の慣習には、その文化と歴史に基づく重大な意味があるはずです。

また、日本の文化しか知らない人は、日本の文化を本当に理解したといえるでしょうか。日本の文化は、過去も現在もさまざまな文化の影響を受け、また影響を与えています。しかし、学問的にも、たとえばアジア各文化との交流については、体系的な研究が充分に行われていないようです。この研究の妨げの根底には、日本の他国に対するコンプレックスと、その反動から来る過剰なまでの優越感があります。むやみに卑下する必要もまたないのですが、日本の文化を客観的に捉え、評価する姿勢がいまだに根付いていないのです。

完全に独立した文化というものは存在しません。他の文化について知り、自分の文化を客観的に見つめ直すことで、はじめて自分の文化を真の意味で理解することができます。UWCは、「ものの見方」の多様性を示すことで、真っ向からこの問題に取り組んでいます。

身体的な異文化理解

UWCでは、重要な目的である異文化理解が、「身体的に」体験されます。たとえばUWCイギリス校では、国籍と文化の異なる4人が一部屋で2年間暮らします。物理的に同じ部屋で暮らすということで、抽象的な観念としてではなく、異文化理解を直接体感します。また、価値観の違いなどから誤解が発生した場合は、当事者で話し合って解決します。すべての問題が完全に解決するとは限りません。時には妥協も必要でしょう。その過程でさまざまな悩みも発生しますが、貴重な体験として生徒の胸に刻み込まれます。

「体当たりで異文化を理解する」という発想は、「アウトワード・バウンド」という野外活動教育に携わってきたカート・ハーンにとっては自然なものだったのでしょう。野外活動教育では人間と自然が直接向き合い、また自然の中で人間同士が向き合うわけですが、UWCでは、「異なる文化を持つ人々」という状況の中で行われます。たとえば野外活動で協調して目的を遂げることにより、言葉だけでなく「相手を信頼する」ということが実践されます。

ツアー旅行で外国に行っても、その土地の人とどれだけ交流できるでしょうか。新聞やテレビの報道だけで、悪い印象だけが先行している国も多くないはずです。抽象的な「国」ではなく、直接一人一人の人間と話し合い、ともに生活することで、人間に共通するものを実感できるはずです。

結びに・高校の先生方へ

教育者の皆様は、ぜひともUWCの教育の可能性に注目し、より深く知っていただきたいと思います。画一的な教育に一石を投じ、硬直化した学校に刺激を与えるヒントがあるはずです。

また、UWCに関心を持つ生徒さんがいらっしゃれば、ぜひ相談に乗ってあげてください。もし「UWCに生徒を取られてしまう」というふうにお考えでしたら、今一度お考え直しください。UWCに生徒を送るということは、むしろ誇らしいと考えられないでしょうか。

私は、可能な限り多くの高校生・中学生にUWCの存在を知ってもらい、挑戦してほしいと考えています。仮に合格できなくても、理想を目指して得られるものがあるはずです。また、とりわけ、UWCがなければ海外に行く機会がなかった人にUWCを目指してほしいと思います。ちょうど私がそうであったように。

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本文書の最新版はhttp://cosmoshouse.com/uwc/uwc-education.htmから入手できます。


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